アンチ夢の国お涙ちょうだい女子ブログ

引き返したほうが身のためかもしれない。

よその家の子どもと自分の家の子どもを比べる、いまどきの風潮の謎~経済的なことを比べているわけではない~

日常の中で、子どもさんのいる人たちと話す機会があり、

あることに気が付きました。

それは、

「子どもの出生地は変えられない、そのときの家族からの影響を、あとで変えることはできない」

よく、親である人と話していると、

「あの家の、あの子のような長所を、

うちの子にも身に付けさせるためには、何をしたらよいだろう」

と悩んでいることに、気付かされます。

全くの善意で、子どもの心配をするわけです。

ああ、親というのは、なんと子どもの幸せばかりをねがっているのだろうか、

と感動することでしょう。

わたしからしたら、そんなにいい親なら大丈夫だよ、うちもいろいろあるよ、

と思うかもしれません。

中にはこういう親もいます。

「あの家はなんでも順調だから、うらやましい」

それには驚きます。

なんでも順調な家など、わたしは、生まれてこのかた、

一度たりとも、目の当たりにしたことはありません。

それは、自分の家がいろいろあったので、

なにも問題がない家庭環境というものを、

自分の経験からは、まったく想像もできないせいもあるかもしれませんが、

「あの家の子どもはなんでも順調だから」

という人がいるのには、

たしかに驚きます。

原理上はすべての人に弱点があるとされ、弱点の場所が違うだけで、

天は人の上に人を作っていないはずです。

それゆえすべての家庭には原理上は弱点があります。

でも、意外なほど、よそんちの子どもは、立派に見えるんですよね。

あれって、なんで立派に見えるんでしょうかね。

わたしにもよくはわかりません。

自分が立派だからでしょうか?よくわかりません。

自分が立派でないなら、そんなに人が立派には見えないのでは?

よくわかりませんが、

ともかく、その立派に”見える”というのは、

”見え”ているその子、

たぶん、その子の実際の性格とは、

相当ちがうことでしょう。

たとえば、極めて内気な子は、学校では非常に外交的な子を”演じている”場合もありますし、

極めてうるさい子は、学校では非常に内向的かつおしとやかに振舞うこともあるでしょう。

それはなんとなく、周りの大人かだれかに、「もっとこうしなさい」みたいに、

善意か性急な判断かは知りませんが、

そうした言葉に”合わせて”きたのでしょう。

それで大人になると、

日本人の場合そうした裏表がもっとパワーアップしている場合があり、

「マジかよ!!そうは見えねぇ!!」

と感じることが出てくるんだと思います。

勉強ができる子に、案外と、難しい性格の子が混ざってることもよくありますし、

綺麗な子は、昔からことわざでも言うように、

かなり相当の苦労を積まなければ中身はカラになってしまうことでしょう。

よく考える子もいれば、単純作業に優れた能力を発揮する子もいるでしょう。

また、よく考える子の多くは、それに起因して、単純作業が不得意な子が多いことでしょう。

にも関わらず、多くの親が、

外での(またはSNS上での)

子どもの”同級生”と、自分の子どもを比べることでしょう。

それは徒労ではないでしょうか。

ひとんちの子どもなど、自分が育てているわけではないので、

どうでもいいではありませんか。

わたしの育った家庭は、非常に、問題がさもないように、

外では、見せかけているタイプの家庭でした。

それゆえ、自分の目から見てよその芝生が青く見えると、

逆に「ホントにそんなに青いのかょ!?問題ないふりしてるだけなんじゃねーの!!?」

と、ついつい感じてしまいます。

結論的には、

よその子どもが、いかにも青い芝生に見える方のほうが、

かえって裏表のない家庭で育った方である可能性がある以上は、

隣の芝生が青いことの是非については、

実はなんともいえないのではないか、ということになります。